ユ・ジェソク、歴史的人物「ファリネリ」への例えで失言し謝罪
バラエティ番組『ハッピートゥゲザー』に出演したユ・ジェソクが、歌手チョ・グァヌの歌唱法を「ファリネリ」に例えた際、歴史的背景を考慮せず不適切な表現となったとして、度重なる謝罪を行う事態となった。
放送人のユ・ジェソクが、音楽に関する発言で予期せぬ失言をし、度重なる謝罪をする状況が巻き起こった。歌手チョ・グァヌの独特な仮声に関して「ファリネリ」に言及したが、ファリネリの実際の歴史的背景を後になって知り、自身の発言が適切ではなかったと悟ったのだ。

28日に放送される『Happy Together - I'm Glad I'm Not Alone』(以下「ハッピートゥゲザー」)第7回では、ユ・ジェソクをはじめ、チャン・ハンジュン、ユン・ジョンシン、そして本選D組スペシャルMCのソン・シギョンが出演し、参加者たちのステージを共に楽しむ。
この日の放送には、歌手のチョ・グァヌが父であり国楽人でもあるチョ・トンダルと共に登場する。チョ・トンダルは、特有の仮声を使用する息子チョ・グァヌの唱法を説明し、「グァヌは去勢された(宦官の)発声だから、去勢されているのかと思った」と語り、スタジオを騒然とさせる。
これに対し、ユ・ジェソクはチョ・グァヌに向かって「ヒョンニム(兄さん)は韓国のファリネリではないですか」と言った。チョ・グァヌの高い音域と独特な歌唱法に例えた言葉だった。
しかし、ユン・ジョンシンがすぐに「その方は本物の去勢された人(宦官)だよ」と説明したことで、雰囲気が一変した。ユ・ジェソクはそこでようやく、自分が言及した人物の歴史的背景を知り、「申し訳ありません」と繰り返し謝罪した。続いて「私の音楽的素養が不足しています」と言い、頭を下げた。
ユ・ジェソクが言及したファリネリは、18世紀のヨーロッパ・オペラ界を代表したカストラート歌手だ。本名はカルロ・ブロスキで、幼少期に去勢された後、変声期を経ない高い音域と声量をもとに、当時の最高のオペラ歌手として名を馳せた。
カストラートは、当時女性の舞台活動が制限されていた社会・文化的環境と、オペラ産業の要求が結びついて登場した特殊な存在だった。ファリネリはその中でも圧倒的な音楽的才能とスター性を備えた人物と評価されている。したがって、チョ・グァヌの仮声とファリネリの音楽的イメージを繋げること自体は理解できるが、その人物の身体的な背景まで考慮すると、ユ・ジェソクの表現は全く異なる意味として受け取られかねないのだ。
この日の放送では、チョ・グァヌが長らく「顔のない歌手」として活動していた背景も公開される。
チョ・グァヌはデビュー当時、TV出演をしない意思を表明し、むしろ制作陣がそれを快諾したと回想した。彼は「活動を始める際にTV出演はしないと言ったら、制作陣が『それは良い考えだ』とすぐに納得した」と語った。
これは当時の大衆音楽市場において、かなり異例な戦略だった。放送出演とスターの顔がそのまま宣伝手段へと繋がっていた時期に、あえて自分の顔を隠し、声だけを前面に押し出したのだ。
チョ・グァヌの戦略は、結果として爆発的な成功を収めた。彼の1stアルバムは約130万枚、2ndアルバムは約320万枚の売上を記録し、1990年代のアルバム市場を代表する記録として残った。特に圧倒的な高音と仮声を活用した唱法は、当時の男性バラード歌手たちと明確に区別されるチョ・グァヌならではの音楽的アイデンティティとなった。
しかし、顔を公開することで予想もしなかった変化が現れた。
チョ・グァヌは「私が初めて番組に出演した途端、アルバムの1日の販売量が2〜3万枚から2〜3千枚へと激減した」と明かした。顔を隠したまま音楽そのものに対する幻想を最大化させていた従来の戦略が、顔の公開後にはむしろ弱まってしまったという意味だ。
これは大衆文化において、イメージがいかに音楽を再解釈するかを示す興味深い事例でもある。声だけで形成された歌手への想像力と、実際の人物の外見が結びつくことで、大衆が消費する「スターのイメージ」が変わり得るからだ。
特にチョ・グァヌの事例は、1990年代のアルバム産業が、放送とアルバム販売を必ずしも同一の方向に動かしていなかったという点でも注目に値する。今のようにSNSや動画プラットフォームを通じてアーティストのイメージがリアルタイムで消費される時代とは異なり、当時はラジオとアルバム、そして放送出演の有無がそれぞれ独立した影響力を行使していた。
かつてアンダーグラウンド歌手として活動していたユン・ジョンシンも、チョ・グァヌの経験に共感した。大衆に露出される方法が、音楽の評価や消費の方式にまで影響を与え得るという点で、自身の経験と重なっていたからだ。
今回の「ハッピートゥゲザー」のエピソードは、単なる放送中の失言以上の意味を持つ。一方には歴史的に独特な音楽的存在であったファリネリがおり、もう一方には自身の声を通じてアイデンティティを構築したチョ・グァヌがいる。ユ・ジェソクの短い失言は、むしろ二人の音楽的背景を振り返るきっかけとなった。
何よりもチョ・グァヌの物語は、スターの顔が必ずしも音楽的成功の前提条件ではないという事実を示している。顔を消した場所に声を立て、その声一つで大衆の想像力を動かした「顔のない歌手」の戦略は、今のようにイメージが氾濫する時代においては、むしろより独特な文化的実験として読み解ける。