San E「残高は4866ウォンだった」絶望の冬を回想し、現在の心身の不調も告白
歌手のSan Eが、口座残高が5,000ウォンにも満たなかった無名時代の苦い記憶を告白。成功の裏にあった挫折と、現在直面している心身の不調についても明かしました。
歌手のSan Eが、口座残高が5,000ウォンにも満たなかった無名時代のことを振り返り、当時の苦しい心境を明かした。成功後の華やかな姿とは対照的に、いくら努力しても人生が好転しないと感じていた一時期の記録を公開した。

San Eは去る24日、自身のSNSに「2013年の寒い冬だったが、いくら努力しても上手くいかず、明け方に漢江を走りながら自分の銀行残高を見て、思わず泣き崩れてしまった」と綴った。共に公開された写真には、当時の彼の口座残高が4,866ウォンと表示されていた。
彼は当時の心境をより具体的に回想した。「『こんな日を誰が好きになるだろうか。自分でも去ってしまうだろう』と泣きながら歩いている時、生まれて初めて『風が骨まで凍みる』という表現がどういう意味なのかを悟った」と明かした。
続けて「高くそびえ立つマンションの明かりを見ながら、10年以内に必ずあそこを買ってみせる、と自分自身に誓った記憶がある」と付け加えた。経済的な困窮と不確実な未来を前に感じた挫折を、後の目標へと転換した瞬間を淡々と語った形だ。
San Eは、ここ数ヶ月間、自身の心身が困難な時間を過ごしている事実についても打ち明けた。彼は「ここ数ヶ月、体と心が痛くて連絡も取れず、連絡することさえ怖い日々を過ごしている」とし、「心配をかけて申し訳ない。勇気を出して良くなろうと最善を尽くしている」と伝えた。続けて「世の中のすべての病める人々が健康になってほしい」と付け加えた。
San Eの告白は、現在の困難だけでなく、長い間音楽活動を続けてきた中で経験した浮き沈みをも振り返らせる。彼は2008年にJYPエンターテインメントに抜擢され、本格的に名を馳せた。アメリカ移住後、ジョージア大学でグラフィックデザインを専攻していた彼は、JYP USAにデモ音源を送って抜擢され、当時JYPが送り出した初のソロラッパーとして注目を集めた。
2010年にミニアルバム『Everybody Ready?』で正式にデビューした後、ブランニュー・ミュージックに移籍し、ヒップホップを基盤に活動領域を広げた。『知っている人の話』、『別れの食卓』、『Me You』などを発表し、レイナと共に歌った『Honey of a Midsummer Night』が大衆的な人気を得て、その名を広く知らしめた。
しかし、大衆の注目を集めるアーティストになった後も、人生が常に順風満帆だったわけではない。San Eが公開した4,866ウォンの残高は、単なる数字を超え、成功を収める前に彼が通過しなければならなかった不安と挫折の時間を象徴的に示している。
過去の自分を振り返ったSan Eは、現在の困難も隠さなかった。最も辛かった時期を乗り越えた経験を持つ彼が、再び自身の人生を立て直そうとする意志を示しただけに、ファンからの関心も寄せられている。