ファン・ジェギュン「野球が合わず勉強へ、全校1位から数学コンクール金賞まで」
元プロ野球選手のファン・ジェギュンが、学業優秀だった驚きの学生時代を告白。全校1位や数学コンクール金賞など、運動選手というイメージを覆すエピソードを『全知的おせっかい視点』で明かします。
元プロ野球選手の放送人、ファン・ジェギュンが、運動選手という現在のイメージとは大きく異なる学生時代を公開した。小学生の頃から並外れた運動能力を見せていたが、野球を始めた後も全校1位を維持し、数学コンクールで金賞を総なめにするほど学業でも頭角を現していたことが明らかになった。むしろ母親が息子の運動の進路に反対したほど、勉強への期待が大きかったというエピソードも公開された。

去る29日に放送されたMBCのバラエティ番組『全知的おせっかい視点』では、引退を控えたファン・ジェギュンの日常が公開された。この日、ファン・ジェギュンは猛暑により引退式が延期されたため、家族と食事をしながらその名残惜しさを紛らわしており、自然と彼の幼少期や野球人生を振り返る話へと続いていった。
ファンの運動の才能を最初に発見したのは父親だった。父親はファンが小学4年生だった頃を回想し、「ジェギュンがある日学校から帰ってきて、陸上シューズを買ってほしいと言った」と語った。
当時、ファンは学校の走りで4位を記録した後、クラスで1位になればソウル市の大会に学校代表として出場できるという話を聞いた。これを受けて父親が陸上シューズを買い与えると、ファンは翌日から朝5時30分に起きて、一人で走る練習を始めた。
父親は「半月後にはクラスで1位になったそうだ。その時、運動をさせれば上手くなるだろうと思った」と明かした。幼いながらも目標を立てると、自ら訓練計画を立てて実行する傾向があったのだ。
しかし、ファンの進路を巡る両親の考えは異なっていた。母親は息子が運動を選択すると言った際、むしろ反対したことを打ち明けた。「苦しい道を選ぶと言うので反対した。あなたは勉強もできるから、勉強で成功するのではないかと思った」というものだった。
実際にファンの学業成績は、運動選手の一般的なイメージとはかなりの隔たりがあった。父親が「試験を受ければずっと100点だった」と証言すると、ファンは「野球を始めてから2年まで全校1位を続けていた」「数学コンクールはすべて金賞だった」と自ら明かした。
これを聞いたチョン・ヒョンムが「本当か」と驚き、イ・ヨンジャも「だからお母さんは勉強しろと言ったんだね」と反応した。運動を始めたからといって学業を放棄したのではなく、むしろかなりの期間、運動と勉強を同時に高いレベルで遂行していた事実が明らかになったのだ。
さらに興味深いのは、ファン自身が野球を諦めようとした時期があったという点だ。「自分には合っていない気がして勉強すると言ったら、父から『一度始めたことは途中でやめられない』と言われた」と語った。
幼いファンにとって、野球は最初から確固たる進路ではなかった。走りで発見された運動能力をきっかけに運動を始めたが、実際の選手生活の過程では、自身の適性に対して疑問を抱くこともあった。しかし、父親は簡単に方向を変えるのではなく、一度始めたことには最後まで責任を果たすよう導いた。
このような逸話は、ファンが後に韓国プロ野球を代表する内野手の一人へと成長した過程とも通じている。彼はプロの舞台で強力な打撃と安定した守備能力を武器に、長期間選手生活を続けたほか、アメリカのメジャーリーグ、サンフランシスコ・ジャイアンツでもプレーし、海外の舞台を経験した。韓国復帰後はKT Wizの主力選手として活躍し、チームの創設後初の統合優勝を経験するなど、大きな足跡を残した。
特に三塁手としての攻撃力と守備範囲、長打力を備えたファンは、単に身体能力だけでトップクラスの選手に登り詰めた事例とは異なる。幼少期から目標を設定し、繰り返し訓練する習慣、そして学業でも高い成果を維持していた自己管理能力が、長期間の選手生活を支えた要素と言える。
今回の放送で公開された幼少期の逸話は、そんなファンのもう一つの側面を見せている。大衆には強力な打球を放つユニフォーム姿の選手としてのイメージが馴染み深いが、その裏には、運動を始めるかさえ確信を持てなかった幼少期と、勉強を通じて別の成功の可能性を期待した家族の視点が存在していた。
結局、ファンの野球人生は、最初から予定されていた道というよりは、選択と迷いを経て作られた結果に近い。「野球が合わない」と言って勉強に戻ろうとした少年は、父親の一言をきっかけに再び運動を続け、のちに国内外のプロ舞台を駆け巡る野球選手へと成長した。
引退を前に自身の過去を振り返ったファンの物語は、スポーツスターの成功が単純な才能だけで完成されるものではないという事実も示している。天性の運動能力に加え、目標に対する執念と家族の選択、そして自ら下した決断が長い時間をかけて蓄積され、一人の選手のキャリアを作り上げたのである。