イ・ミスク「嫁が来るのが怖いから旅行へ送る」 伝統的な嫁姑関係からの解放を語る
俳優のイ・ミスクが、将来の嫁に名節(旧盆)の料理準備をさせないという率直な思いを明かし、変化する現代の家族観をユーモアたっぷりに語りました。
俳優のイ・ミスクが、将来の嫁に名節(旧盆)の料理準備をさせないという意思を、率直な語り口で明かし注目を集めた。

むしろ嫁が名節に家に来ること自体を負担に感じているとし、「あなたたちだけで楽しく過ごしなさい」と言って旅行へ送るというイ・ミスクの発言は、伝統的な嫁姑関係や名節の風景における世代の変化を想起させた。
イ・ミスクは18日、自身のYouTubeチャンネル「イ・ミスク_スクスロウン・ミスクッシ」で公開された「秋夕(チュソク)にはイ・ミスク式マンドゥ。ピリ辛に包んで楽しく遊びました」という動画の中で、知人たちと共に手作りでマンドゥ(韓国風餃子)を包みながら秋夕の準備をした。
マンドゥの餡を作っていたイ・ミスクは、過去を振り返り「本当に私が嫁だった頃にはしなかったようなことだ」と笑った。自身の若い頃には名節の料理準備が当然の家族労働のように思われていたが、今は自らマンドゥを包みながら、後代には同じ負担を繰り返させないという趣旨の話を切り出したのだ。
会話の焦点が嫁の話に移ると、イ・ミスクはさらに率直な考えを明かした。彼女は「私は自分の嫁や、そういう人たちには絶対にこんなことさせない」と語った。
続けて「私は嫁が来るのが怖い」とし、「あなたたちだけで楽しく過ごしなさい、と言うわ。名節の時も呼ばずに旅行に行かせちゃう」と付け加えた。
表現だけを見ればやや過激に聞こえるかもしれないが、この日の発言の文脈は、嫁を警戒するという意味よりも、むしろ名節をめぐる義務と役割分担から嫁を解放しようとする、冗談混じりの家族観に近い。義実家の名節に嫁が料理準備を一身に引き受けたり、家事を責任持たなければならないという古い慣習から脱却しようとする意思を、特有の直截的な言葉で表現したわけだ。
イ・ミスクは、自らマンドゥを包む過程で、名節の料理と家族間の葛藤に関する考えも打ち明けた。周囲の人々と共に料理を作りながら、あれこれと小言が続くと、知人から「これは少しマンドゥ包みを口実にした小言タイムね」と言われる場面もあった。
イ・ミスクはこれに対し「元々そういうものよ」と返した。家族がひとつの場所に集まって料理を作っていれば、自然と生活の話が出て、お互いの行動に対する指摘や小言が続くのは避けられないということだ。そうして「だから秋夕や名節の時期には、こういうところで争いがたくさん起きるって言うじゃない」と言い、笑いを誘った。
実際に名節は、家族構成員が長時間一つの空間に集まる代表的な生活文化の場である。普段はそれぞれの生活圏で離れて過ごしていた家族が、短期間集中して会うことで、家事労働の分担、料理準備、育児、経済的負担、呼称や礼儀といった問題が一挙に表面化することもある。イ・ミスクのマンドゥ包みのシーンも、こうした名節の両面性を愉快な会話で解き明かしたものと見ることができる。
特にこの日、イ・ミスクが見せた姿は「名節の料理」という伝統的な家族労働の意味とも結びついている。料理は家族をつなぐ媒介であるが、同時に誰かにとっては繰り返される労働と義務にもなり得る。過去には嫁が義実家で名節の料理を準備することが当然の役割として受け入れられていたが、最近では家族構成員全員で家事を分担したり、名節そのものを旅行や休息の時間として過ごす家庭も増えている。
イ・ミスクが「名節の時も呼ばずに旅行に行かせちゃう」と言った部分は、まさにこうした変化した家族文化に対する愉快な表現として読み取れる。名節という理由だけで特定の家族構成員が労働を提供しなければならないという観念の代わりに、各自の時間を尊重しようとするものだ。
この日、イ・ミスクが作ったマンドゥにも家族史を貫く伝統が込められていた。彼女は北朝鮮出身の母親から受け継いだ方法で、ピリ辛のマンドゥスープを準備した。餡には豆腐と熟成キムチ、もやし、豚肉と牛肉、春雨などを入れ、知人たちと共に自らマンドゥを包んだ。
単に一食の食事を作る過程であったが、その中には世代間の伝承という韓国の食文化の特徴もそのまま込められていた。特に北朝鮮出身の母親から学んだ調理法を娘の世代へと引き継いでいく過程は、名節の料理が単なる家事労働を超え、家族の記憶と地域的・世代的なアイデンティティを保存する媒介であることを示している。
イ・ミスクは1970年代から活動を開始し、数十年にわたって映画とドラマを行き来しながら、韓国大衆文化の変化と共に歩んできた俳優だ。強烈なキャラクターの消化能力と直截的な語り口で有名なだけに、自身のYouTubeチャンネルでは、放送では相対的に見せることが難しかった私的な生活様式や人間的な面をより自由にさらけ出している。
今回の発言も、俳優イ・ミスクのイメージと、実際の生活者としてのイメージを同時に見せている。名節の料理を自ら作りながらも、肝心の将来の嫁には同じことをさせないと宣言し、料理を共に作る過程では小言や家族間の衝突を冗談として昇華させたのだ。
結局、イ・ミスクの「嫁が来るのが怖い」という言葉は、嫁姑関係への警戒というよりは、過去に自分が経験した名節の風景を次の世代にそのまま引き継がないという宣言に近かった。自らマンドゥを包み、家族の伝統料理は引き継ぎつつも、その過程で発生する労働と義務まで必ずしも後代が負担しなければならない理由はないということだ。
名節の意味が「誰かの犠牲によって維持される家族行事」から「家族構成員各自が選択し楽しむ時間」へと少しずつ変化している中で、イ・ミスクの迷いのない冗談は、その変化した家族観を愉快に凝縮して見せた。
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